「神様が私たちに望んでおられること」2021年11月21日(木村喜憲 牧師)

16 いつも喜んでいなさい。

17 絶えず祈りなさい。

18 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。

Ⅰテサロニケ 5 : 16 – 18

今日は収穫感謝主日です。収穫感謝主日は聖書に出て来る仮庵(かりいお)の祭り、あるいは刈り入れの祭りから由来しましたが、同じ日であるのに、違う名で呼ばれる理由があります。まず、 仮庵の祭りというのは、エジプトから救い出されたイスラエルの民が、40年間荒野で天幕の生活をしたことを記念し、ついに約束の地に入るようになったことを感謝する日であります。

またこの日は、刈り入れの祭りとも呼ばれましたが、イスラエルの民が一年間農業を営んで、収穫したものを(たくわ)えることができるように、恵みを与えてくださった神様に感謝する日でした。

現在、私たちも一年一回、収穫感謝主日を記念しながら、神様に礼拝を捧げます。農業も してない私たちが、収穫感謝主日を守らなければならない理由は、仮庵の祭りと刈り入れの祭りの精神を守るためであります。一年の間、必要なことを供給してくださり、また全ての生活を守ってくださった、神様の恵みに感謝しながら、収穫感謝礼拝を捧げることです。また、サタンの奴隷だった私たちを救ってくださり、天国を賜物としてくださった神様に 感謝する時間がまさに収穫感謝主日です。

キリスト教は、感謝の宗教です。私たちは、過ぎた何週間、神様のみこころを求めることについて御言葉を調べましたが、士師時代の人たちが堕落して裁かれた理由は、彼らが神様のみこころを求めなく、そのみこころの通りに生きなかったからだと申し上げました。

また、それと反対に、サムエルとダビデが祝福されて、神様のみこころに適った者だという評価を受けた理由は、彼らが神様のみこころを求めて、その御心の通りに生きたからです。

さあ、そうすれば、果して私たちに向かう、神様のみこころは何でしょうか。

今日の本文16節から18節まで、もう一度一緒に読みます。

16 いつも喜んでいなさい。

17 絶えず祈りなさい。

18 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。

Ⅰテサロニケ 5 : 16 – 18

いつも喜んでいて、絶えず祈ること、そしてすべてのことに感謝することが、キリスト・ イエスにあって、神様が私たちに望んでおられることだと言われました。

神様が私たちに、あまりにも無理なことを求めておられるでしょう。神様、感謝するようなことがあってこそ感謝するじゃないでしょうか。少なくとも、私たちの祈りにすぐ答えて くださったり、目の前の現実の問題を解決してくださったり、そうじゃなければ、痛い所 でもない時に、感謝が出るじゃないでしょうか。いったい私の現実の中で、どちらの部分で感謝が可能だと思われるか、たまには神様に聞いてみたい時があります。

ところで、私たちには、本当に感謝すべき理由がないから感謝ができないのでしょうか。

何年前に、こんな文を見たい事があります。

あなたが蔑視(べっし)拷問(ごうもん)、そして死の脅威(きょうい)を感じなく、自由に宗教活動をすることができれば、あなたは、世界中30億の人より祝福された方です。

あなたの冷蔵庫に、今食べる者が入っていて、着物があなたの体を覆っていて、あなたの 頭の上に屋根がいて、休める寝床があるとすれば、あなたは、世界中すべての人の75%より豊かな人です。

あなたに銀行口座があり、その中に十円でも現金が入っていて、財布の中に紙幣があり、 また細かいお金が、家のどこかに放っておかれているとすれば、あなたは世界中上位(じょうい)8%のお金持ちです。

あなたが、このメッセージを読むことができたら、あなたは字を読めない20億の人より、 もっと祝福された人です。あなたは、自分がどれほど祝福された人なのか知れないほど、 多くの祝福を受けました。

そして、私は、ここにもう一つの内容を追加したいです。あなたに神様を父と呼べる信仰があり、イエス様の救いを信じたら、あなたは、すべての日本人の中で、0.2%しかならない祝福を永遠に所有した人です。

神様は、天地を創造する前に、すでに私たちを、キリストにあって祝福されました。神様は私たちのために、ご自分の全部である、イエス様をくださって、また、聖霊様を遣わして くださって、私たちとともに生きるようにされました。すなわち、神様としては、私たちにもっと良い物をくださることができないほど、最高の祝福をくださいました。それにもなぜ私たちは感謝だと感じられないでしょうか。

私たちは、自分が持っていることを失ってみれば、それが自分にとって、どれほど感謝な ことだったのかを悟るようになります。韓国の人たちは、軍隊に行きますね。ところで、 軍隊にいる2年間の時間が大変な理由は、自由を失ってしまうからです。軍隊に行ったら、自殺防止のために全ての人が義務的に宗教活動をしなければならないですが、軍隊で初めて教会に行けば、涙がこぼれて賛美ができません。社会にいる間は礼拝することがいやなのでずっと逃げちゃいましたが、軍隊に行ったら、いつでも賛美することができて、いつでも 礼拝することができるということ、そして頼れるイエス様がおられるというのが、どれほど感謝すべきことなのか悟るようになります。私たちは、自分が持っていた良い物を、失ってみれば、それが感謝なことだったということを、初めて悟るようになるということです。

それと同じく、健康を失った人は、健康がどれほど感謝なことだったのか悟るようになり、平和を失った者は、安定的な生活、いつも繰り返される日常生活が、どんなに感謝なこと だったのか悟るようになり、家庭を失った者は、家族がどんなに感謝なことなのかが、  分かるようになるということです。

私たちに必要なものたちは、私たちが求める前に、すでに神様が賜物としてくださいました。それにも私たちは、健康も平安も家族やお金や友たちも、ただでもらったのに、全然感謝 できず、むしろ与えられた物が、初めから自分のものだと思います。

しかし明らかな事実は、私たちにあるすべての良い物は、神様の恵みであり、いつかは、 それらを取り戻される時があるということです。だから、私たちは、自分が持っている良い物たちを失う前に、それをくださった神様に感謝しなければならないのです。

神様のみこころは、私たちがキリスト・イエスにあって、感謝することだと言われます。 それなら、なぜ私たちは、感謝しなければならないでしょうか。

ルカの福音書17章には、イエス様がライ病にかかった、十名の人を直してくださったことが書いてあります。イエス様がライ病を患っている十名の人に、祭司に行って自分の病気が 直ったという確認を受けなさいと言われました。そしてその御言葉の通りに、十名の人が 祭司に行く間、そのライ病から癒されました。ところで、そん中で、たった一人の人だけが再びイエス様のもとに戻って来て、感謝しました。するとイエス様が、こう言われました。

ルカ 17章 17節と 18節です。

17 そこでイエスは言われた。「十人きよめられたのではないか。九人はどこにいるのか。

18 神をあがめるために戻って来た者は、この外国人のほかには、だれもいないのか。」

[神をあがめるために戻って来た者は、この外国人のほかには、だれもいないのか。]

ルカ 17 : 17 - 18

この御言葉を通して、私たちが知れることは、感謝することこそ、神様に栄光を帰する最も確実な方法だということです。なぜなら、私たちの祈りが答えられ、私たちの願いが叶う時、私たちが神様に感謝を告白することは、それを行われた方が、神様だという事実を認める ことだからです。

神様は、私たちが神様の恵みん対して、感謝で栄光を帰する時、私たちにもっと素晴らしいプレゼントをくださいます。ライ病を患っている10名が、みなライ病から清くなりました。しかし、もともとライ病というのは、深い傷跡が残る病気なんです。その日9名の人たちは、ライ病から直されたですが、一生その傷跡を持って生きなければなりませんでした。しかし感謝を通して神様に栄光を帰した異邦人には、イエス様がもっと素晴らしい恵みを与えて くださいました。それは、一番目に、魂の救いを受けたということで、二番目には、彼の 体が、病気にかかる以前の完全な状態に回復されたということです。

詩篇 50篇 23節は言います。

23 感謝のいけにえをささげる人は、わたしをあがめよう。その道を正しくする人に、わたしは神の救いを見せよう。」

詩篇 50 : 23

イエス様に感謝を告白した彼は、異邦人だったのにも救われました。また長い間、ライ病を患っていましたが、彼の体が完全に回復される恵みを受けました。一言で、彼は、感謝を 通して、彼の絶望的な人生を逆転させた人だったということです。

皆さん、試練と苦難の中にいますか。どこから解決しなればならないか分からないほど、生活がめちゃくちゃになっていますか。どうすれば良いか分かんなくて、迷っていますか。皆さんの人生を回復させて、逆転させる方法があります。それは、神様の恵みに感謝する ことです。

今のような状況で、自分が何を感謝すべきでしょうか。感謝なことが何もないのに、神様の御前で嘘でもつくというのでしょうか。

聖書の中で、一番多くの感謝の告白をした人は、ダビデでした。彼の人生がどうだったのかについては、すでに皆さんも、よく知っておられると思います。詩篇を読んでみれば、時に、ダビデは、悔しいことをされたり、他の人に、命を脅威を受ける時にも、感謝の告白をしました。それは、ただ、なげのことばではなく、まことの感謝の告白でした。

詩篇 9篇 1節です。

1 私は心を尽くして主に感謝します。あなたの(くす)しいわざを(あま)すことなく語り告げます。

詩篇 18篇 49節です。

49 それゆえ、主よ。私は、の中であなたをほめたたえ、あなたの御名を、ほめ歌い ます。

詩篇 26篇 7節です。

7 感謝のを聞こえさせ、あなたの(くす)しいみわざを(あま)すことなく、語り告げましょう。

詩篇 44篇 8節です。

8 私たちはいつも神によって(ほこ)りました。また、あなたの御名をとこしえにほめたたえます。

ダビデが、神様に本気で感謝したという証拠は、彼が神様を賛美したということに現れて います。それは、ただ歌を歌ったということではありません。ダビデの賛美は、全部自分の信仰告白から出た自作曲(じさくきょく)でした。

ダビデが、まことに神様に感謝したという、もう一つの証拠は、ダビデが神様を自慢して、他の人の前で、神様の御業を褒めながら、語り告げたということです。

誰かに助けを受けた後に、それに関して感謝せている時に現れる、自発的な現象があります。それは、他の人の前で、その人を褒めたり、その人がしたことに対して語り告げることです。最近私が、健康の問題で、ある医者先生から助けを受けたことがあります。ところでそれがあった後、私が、自分知らずに、人々にその先生を褒めたり、その病院他の人に紹介したりしてます。誰が言われなくても、助けを受けたことに対して感謝して、喜んでいるのです。

詩篇でダビデは告白します。

[私は心を尽くして主に感謝します。あなたの(くす)しいわざを(あま)すことなく語り告げます。]

[それゆえ、主よ。私はの中であなたをほめたたえ、あなたの御名を、ほめ歌います。]

[感謝のを聞こえさせ、あなたの(くす)しいみわざを(あま)すことなく、語り告げましょう。]

[私たちはいつも神によって(ほこ)りました。またあなたの御名をとこしえにほめたたえます。]

神様にまことに感謝する人には、このように自発的に賛美したり、証したり、語り告げる 現象が現れるということです。

いったいダビデは、試練の中で、どうして、神様に感謝することができたんでしょうか。 それはダビデに信仰があったからです。先にも申し上げたことがありますが、私を指導してくださった牧師先生は、いつもこんな話をしました。

[本当じている、「主信じます。」と言わなく、「主よ、感謝します。」と 告白する] ということです。なぜなら神様が私たちの祈りを聞いて、約束の通りに答えられ、解決してくださることを、はっきり信じているからです。

私たちが福音書を通して読んだ、イエス様の奇跡を見れば、イエス様も、大きな奇跡を  起こさせる時、感謝の祈りを捧げました。

マタイの福音書 14章で、五つのパンと二匹の魚で、五千名を食べさせる時、イエス様は 天を見上げて、父なる神様に感謝の祈りを捧げました。マルコの福音書8章で七つのパンと二匹の魚で、四千名を食べさせる時にも、イエス様は感謝の祈りを捧げました。

そして、ヨハネの福音書 11章で、死んだラザロを生き返らせる時にも、イエス様は、まず神様に感謝の祈りを捧げました。

食べる物もなく、食べ物を買うこともできない、荒野という不可能な状況を、イエス様は、感謝を通してパーティーとならせました。

死んでから四日になって、すでに腐っているラザロの絶望を、イエス様は、感謝を通して、命の祭りと変えてくださいました。

このように、イエス様の感謝は、いつも状況を逆転させる、力があったということです。 イエス様は、父なる神様が働いてくださることを信じ、感謝しました。そして、神様は、 イエス様のこの信仰の通りに働かれて、状況を逆転させたのです。

結局、感謝は、何よりも確実な、私たちの信仰の表現であり、私たちの状況を逆転させる 力だということです。そういうわけで、私たちは、感謝しなければならないということです。

[いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことについて感謝さいなさい。]

この御言葉は、イエス様が私たちにくださるお勧めとか励ましの言葉ではなく、命令です。どうして感謝ができないほど、大変な現実と試練の中にいる私たちに、こんな命令をするのでしょうか。なぜ、イエス様は、十分に大変な私たちに、もっと大きな負担を負わせるの でしょうか。

また、軍隊の話、すみませんが、命令というのは、指揮官の名によって下すことです。  そして、指揮官の名によって命令を下すと言うのは、すべての結果に対する責任は、自分が負うと言うことを意味することです。それが、まさに命令であります。

イエス様が、私たちに、いつも喜んでいて、絶えず祈って、すべてのことについて感謝し なさいと命じられて、負担になりますか。イエス様のその命令は、イエス様の御名によって私たちに下されたことです。すべての責任は、イエス様が負うから、私たちは、イエス様の愛と、イエス様の約束だけを信じて、喜んでいて、祈って、感謝しなさいということです。すると、私たちのすべての状況を、イエス様が責任を負ってくださるということです。

校長先生が自分の名によってした約束も権威があるのに、天地の主人であられるイエス様がご自分の名によって約束されたことを、守らないはずがあるでしょうか。イエス様の御名をかけて、私たちを守ってくださると言われているのに、これより大きな確信を持たせる、 御言葉があるかということです。

チャールズ・スポルジョン先生は、こう言われました。

[ろうそくを見て感謝する者に、神様は、(でん)(とう)をくださり、電灯を見て感謝する者には、 神様は、月の光をくださり、月の光を見て感謝する者に、神様は、日の光をくださり、日の光を見て感謝する者に、神様は、日の光さえ要らない、天国をくださる。]

私たちは、私たちの力で状況を変えることはできませんが、私たちの意志で感謝することはできます。そして、私たちが主の約束を信じ、感謝すれば、私たちのすべての状況は、主が変えてくださって、感謝する者のために備えておられた、もっと素晴らしい恵みを与えて くださるということです。

Ⅰテサロニケ 5章 16節から 18節まで、もう一度一緒に読みます。

16 いつも喜んでいなさい。

17 絶えず祈りなさい。

18 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。

Ⅰテサロニケ 5 : 16 – 18

私たちに対する神様のみこころは、私たちがすべてのことに感謝することです。しかし、 感謝の条件は、普通に私の目には見えません。感謝は、信仰という道具を使って掘り出して、探し出してこそ得られるものです。

最後に、私たちが感謝を表現できる、具体的な方法に対して、申し上げて、終わりにします。

一番目は、表現しながら、感謝すべきです。

ライ病から直された10人の人は、みなイエス様に感謝な心を持っていたはずです。しかし それでも、その中で、イエス様の恵みを得たのは、イエス様のもとに戻って来て、感謝を 表現した異邦人だけでした。今日、この時間、この礼拝を通して、イエス様にいただいた すべての恵みを賛美と祈りで、また御言葉に対する従いの決心で、感謝を表現する皆さんになることを祝福致します。

二番目は、神様に捧げ物を捧げて、感謝すべきです。

申命記 16章 16節と 17節です。

16 あなたのうちの男子はみな、年に三度、種を入れないパンの祭り、七週の祭り、仮庵(かりいお)の祭りのときに、あなたの神、主の選ぶ場所で、御前に出なければならない。主の前には、何も持たずに出てはならない。

17 あなたの神、主が(たまわ)った祝福に応じて、それぞれ自分のささげ物を持って出なければ ならない。

申命記 16 : 16 - 17

神様は、何も持たずに出てはならなく、捧げものを捧げて、神様に感謝しなければならないと言われました。イエス様の御前に、心が込まれれている、まことの捧げものを捧げて、感謝する私たちになることを祝福致します。

三番目は、他の人とともに喜びながら感謝すべきです。

申命記 16章 14節です。

14 この祭りのときには、あなたも、あなたの息子、娘、男女の奴隷、あなたの町囲(まちかこ)みの うちにいるレビ人、在留異国人(ざいりゅういこくじん)、みなしご、やもめも共に喜びなさい。

神様は、イスラエルの祭りには、貧しい者、レビ人、孤児、やもめ、また異国人とともに 喜びなさいと言われました。神様が自分のくださった恵みを証して、一年間収穫したもので、貧しくて、疎外(そがい)された人たちとともに喜びなさいということです。

皆さんが、今日、神様の御前に捧げた献金は、貧しくて、疎外された人のためにも使われるはずです。皆さんが、彼らに流しだす恵みを通して、ある人は、福音を聞くようになり、 ある人には、主の慰めが伝われ、またある人は、希望を持つようになるはずです。

これが、まさに、教会に与えられた使命であり、また私たちに向かう主の御心であります。

皆さんの状況を変える奇跡は、感謝する時、起こります。すべての責任は、イエス様が負ってくださいます。

イエス様を信じて感謝せよと言う命令に従うことによって、不可能を可能に、絶望を希望に、悲しみを喜びに逆転させる私と皆さんになることを、イエス様の御名によって祝福致します。

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA